ここでは日本の歴史上、アルビノがいかなる存在だったのか、古代から近代にかけて文献で確認できるものを紹介します。ただし、二次資料が多いです。以下は、古い順に並べてあるだけの年表で、特に私の考察は加えてはいません(歴史学者や民俗学者の見解は紹介しています)。
また、中にはアルビノかどうか疑わしいものもあれば、そもそも実在したかどうかもわからない伝説も含みます。

古代神話:

因幡の白兎。
⇒ 周知のとおりこれは山陰地方の神話なのだが、厳密には日本の在来種で毛色の白い兎は西日本には生息しておらず、野生の白兎は、東日本で雪の降る冬だけ保護色の白毛に生えかわるユキウサギだけ。だが、西日本に本来いないはずの白兎の出現を「突然変異」で説明しようとする民俗学者もいる(赤田光男 1997『ウサギの日本文化史』世界思想社、73頁。石上七鞘 2003『十二支の民俗伝承』おうふう、86頁)。

444(允恭33)年:

後の第22代清寧天皇が生まれる。出生時より髪の毛が白かったため「白髪皇子(しらかのみこ)」と名づけられた(1988『日本書紀 上巻』講談社学術文庫、314頁)。
⇒ なお遠山美都男は、白髪だったから「白髪皇子」と名づけられたことに懐疑的である(2001『天皇誕生』中公新書、205-7頁)。

650(大化6)年:

孝徳天皇が白い雉の献上を受け、中国・朝鮮半島の故事にならってそれを祥瑞とし、元号を「大化」から「白雉(はくち/びゃくち)」に改めた(1988『日本書紀 下巻』講談社学術文庫、187-90頁)。

7世紀末~8世紀末:

このおよそ100年の間に、33回11種の白い動物が献上され、それを受けて租税免除や罪人の赦免、改元などが行われた。献上された白い動物は、鹿、鼠、狐、雉、燕、烏、鳩、雁、すっぽん、亀など(1992/1995『続日本紀 上中下巻』講談社学術文庫)。

866(貞観8)年:

現在の和歌山県、紀伊国の六人部由貴(むとべのよしたか)の家に、男女2人の「白人(しらひと/しろひと)」の子が生まれる。『本朝通鑑』には、この2人の子は髪、肌ともに白く、夜は見えるが昼はまぶしくて物が見えず外出もできなかったと記録されている。『本朝通鑑』とは、儒学者の林羅山らによって1650(慶安3)年に江戸幕府に進献された編年体の歴史書(林羅山ほか 1918『本朝通鑑 5巻』国書刊行会、922頁)。

967(康保4)年:

平安中期の律令の施行細則「延喜式」に収録されている大祓祝詞(おおはらえののりと)における「国津罪」の中に「白人(しらひと/しろひと)」が挙げられる。
⇒ この「白人」については、中山太郎は「今の白ッ子」(1976『日本盲人史(増補版)』八木書店、9頁)、赤坂憲雄は「白子」(1994『遠野/物語考』宝有社、164頁)、虎尾俊哉は「しろあざ・しろなまずの類」(1964『延喜式』吉川弘文館、103頁)、青木紀元は「皮膚の異常に白くなる病気」(2000『祝詞全評釈』 右文書院、249頁)、新村拓は「面身の斑白なる者、または白癩・白子の類」(1985『日本医療社会史の研究』法政大学出版局、153頁)など、様々に解釈されている。

平安末期~鎌倉初期:

都の奇病をモチーフに描いた絵巻『病草紙』の中で、白髪白面の「しろこ」の女性が街行く人々に指さされ嘲笑されている姿が描かれる(小松茂美編 1987『日本の絵巻 7巻』中央公論社、78頁)。

室町時代:

八百比丘尼(やおびくに/はっぴゃくびくに)伝説が大成する。八百比丘尼とは別名「白比丘尼」とも呼ばれる漂泊巫女。人魚の肉を食べたため不老不死となり800才まで生きたという尼僧で、その伝説は全国各地で語り継がれている。
⇒ 「白比丘尼」と呼ばれていた由来については、中山太郎は「伊勢の白子で生まれたとか、更に白ッ子と称する女性」だった(1930『日本巫女史』大岡山書店、527頁)、藤澤衛彦は「肉体は雪のように純白であった」(1929「日本見世物史考」長坂金雄編『日本風俗史講座 7巻』雄山閣、44頁)など、こちらも解釈は様々。

1449(宝徳1)年:

京都の清水で「八百比丘尼(やおびくに/はっぴゃくびくに)」と称した見世物興業が行われる(藤澤前掲、43頁)。

1609(慶長14)年:

京都東山東福寺にて「しろ子」の者が「山うは(=山姥)」に扮して見世物興業を行ったことが『当代記』に記録されている(横田則子 1994「近世都市社会と障害者」塚田孝ほか編『身分的周縁』部落問題研究所、532頁)。

1819(文政2)年と1838(天保9)年:

名古屋で肌が白く髪の赤い「白子」の者が「猩々(しょうじょう)」として見世物になる。
⇒ 猩々とは猿に似た伝説上の動物で、赤面赤毛と言われている。猩々の見世物では因果話が耳目を集め、見れば無病長寿のまじないになると宣伝された(朝倉無声 1977『見世物研究』思文閣、157-8頁。古河三樹 1993『図説庶民芸能』雄山閣、143-5頁)。

1835(天保6)年と1853(嘉永6)年:

江戸でも「白子」の者が猩々として見世物になる。特に天保期の猩々兄弟は、舞を舞うなどの演出も工夫され人気を集めた(朝倉前掲、163-5頁。古河前掲、143-5頁)。
⇒ だが、江戸の知識人の何人かは、猩々という伝説上の動物の存在に疑いを抱き、独自に文献を調べ、医学的・博物学的知を用いて「白子」などといった解釈をしている(横田前掲、551-2頁。曲亭馬琴 1909「異聞雑稿」『続燕石十種 2巻』国書刊行会、43-5頁。松浦静山 1982『甲子夜話三篇 2巻』平凡社、79-85頁)。

1899(明治32)年:

田中徳次郎による「白化症(Albinismus universalis)」の家系調査が『兵庫県医学会雑誌』に発表される(駒井卓 1934『日本人に現れたる遺伝性疾病及畸形家系表』丸善、28頁)。

1910(明治43)年:

柳田国男が発表した説話集『遠野物語』に「両親ともまさしく日本人にして白子二人ある家あり。髪も肌も眼も西洋人の通りなり」という一節(1976『遠野物語・山の人生』岩波文庫、55頁)。

1911(明治44)年:

遺伝学者の駒井(福田)卓が、鹿児島県の山村で白児(しらちご)の家系調査を実施する。駒井は、白児の男性について「常に強い日光を避けるために頭巾を目深に被って外出する」と記している(福田卓 1911「日本人に於ける白児の系図二列」日本動物学会『動物学雑誌』23巻273号、65頁)。

1940(昭和15)年:

この年に制定された国民優生法に「白児」が挙げられる。

1948(昭和23)年:

この年に施行された優生保護法にも、引き続き「白児」が挙げられる。


このページの編集:矢吹康夫 / 公開日:2009.05.06 / 最終更新日:2009.05.06

日本の歴史に登場するアルビノの年表” に対して3件のコメントがあります。

  1. 匿名 より:

    なるほど〜

  2. 狐歌 より:

    アルビノですか…やはり何処の国でもアルビノの歴史は神聖視させるか見世物にされる、という複雑な歴史しかないのですね………でも今の日本なら大丈夫!オタクからは神聖視されるはずだよ‼………それも何か複雑か(笑)

  3. 匿名 より:

    アルビノって昔からあったんですね。

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