視力について

~albino’s vision~

※これは、こんこんさんの「アルビノのページ」内のコンテンツを引用させていただいています。
 恐らく、今より十数年前に書かれたものです。

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目に色素がない場合は、視力がでにくいのです。

ウチのこどもたちの場合は、黒目の部分が透き通っているようで光の加減で赤く見えたり、茶色く見えたりします。
黒目の中心は、どの人種でも黒いですが、そうではありませんし、その周りにある放射状の虹彩も白いです。

普通は、目の中心部(黒目の部分)ではっきりとものを見ますが、色素がないとそれができないそうです。
赤ちゃんの頃は正確な視力は測れませんが、大抵0.1~0.5位ではないかとのこと。
眼振(眼が揺れること)もあります。場合によっては、斜視(軽度なものから重度なものまで含めて)もでます。

私たちは、ものをはっきり見るために必要なだけの光以外は(サングラスみたいに)カットして見ているのです。が、前述のように、不要な光をカットする色素を持ち合わせていないので、あるだけの光が全部目に入ってきます。だから、余計にまぶしくて見えづらいのです。
微量の太陽光線でも、とてもまぶしそうにしています。曇りの日でも、まぶしいそうです。視力を眼鏡で矯正することはできませんが、サングラスの着用は見やすくするためには必要だと思います。

普通の赤ちゃんは、生後少したってから人の目を見つめることができるようになります。が、彼らの場合はそれができませんでした。でも今は、人のいる方をちゃんと見ることができます。それなりに見えるようになっていくようです。

とにかく、はっきりとものを見ることはできないかもしれませんが、見え方は普通の人でも人それぞれだと思います。
私の感じている緑色と他人の感じている緑色は、本当は違う色かもしれない。でも、この場合は一生違いがあるかどうかなんて解らないし、解ったとしても何ら不都合は無いわけです。
アルビノは、生まれつきその世界で生活しているわけですから、私が思うほどの不便はないのかもしれないと思います。でも、私はアルビノではないので、彼らの見える世界「まぶしい」「はっきり見えない」ということが、いくら想像しても理解できないのです。でも、想像して思いを馳せることはできます。
アルビノである人の周りに、そういう人が増えてくれることが、彼らが生き易くなることだと認識しています。

ご好意により、成人されたアルビノの方々に話を聞かせていただいた限りでは、近くを見るときは虫眼鏡、遠くを見るときは双眼鏡、というように、うまく道具を使いこなして生活してるそうです。
同じアルビノでも視力は人それぞれですから断言はできませんが、工夫をしながら字を読んだり書いたり、普通に生活しています。地域や医者によっては就学時に盲学校を勧められる場合もありますが、普通の学校に通う方ももちろんいらっしゃいます。どちらを選ぶかは、そのときの本人と親の判断です。

盲学校や弱視学級に通う場合は周囲が理解を示してくれそうですが、普通の学校へ進学し、視力の健常な人たちと一緒に健常な先生方のもとで勉強すると、正確に説明しなければ理解してもらえない事も、多くあるようです。掲示板やメールで伺ったアルビノご本人のお話によると、学校生活では上記に加え、いくつか考慮する必要がありそうです。以下に、まとめてみます。

1.メガネで矯正しても視力がそれほど伸びません。
従って、学校での座席は最前列を考慮する必要があるでしょうし、それができない場合は双眼鏡(離れた物を見る場合)や虫眼鏡(近くの物を見る場合)を使うことが必要となるでしょう。それでも、普通の近視や遠視とは違うので、見慣れた対象や興味のある対象は、そうでない物より読んだり書いたりしやすいようです。(だから大人になると、それほど苦労を感じなくなるのかも知れません。)

2.大抵のアルビノには、横揺れの眼振(目が揺れること)があります。
これは本人の意思とは関係ありませんし、視線が合わないのも本人の意思のせいではありません。ですから、間違ってもそのことを叱らないように配慮をお願いしたいところです。
そして、横揺れの眼振の場合は、縦書きの文字が少し認識しづらく、縦書きに文字を並べて書くのも難しいようです。これは、左右に小刻みに揺らしている紙に字を書く場合があるとして、横向きには文字は真っ直ぐに書け、縦向きには真っ直ぐ字が並ばない、であろうという事を想像する事で容易に理解できるでしょう。
定規を使う場合も、横向きにあてた目盛り(縦線)は読みづらく、縦向きにあてた目盛り(横線)は読みやすいそうです。ですから、何かの目盛りを読む場合には、自分の顔の向きか目盛りの向きを見やすい方向に替えて見る必要があるかもしれません。
縦揺れの眼振も、左右と上下を置き換えて同じように考えることができます。

3.健常な目は色素が余分な光を遮ってくれますが、アルビノは何も遮る物が無いため、必要でない光も目の中に飛び込んできます。
ですから、普通の室内でも眩しい思いをします。教室内では、光が顔に当たらない方の座席を考慮する必要がありそうです。そうでない場合は、室内でもサングラスを着用する事が考えられます。サングラスも、正面からの光だけでなく、目に入ってくる全ての光を遮ってくれる様な形(例えばスキーのゴーグルのような)が良いかも知れません。

4.3と関連しますが、余計な光が入ってきて大変眩しいので、白い紙に書かれた黒い文字より、黒い紙に書かれた白い文字の方が読みやすいです。
白い紙は光を目に反射します(アルビノは、そんな光にも視力の邪魔をされます)。ですから、教科書等も読みたい部分以外を黒い紙で覆ったりすると、読みやすいかも知れません。そういう意味では、ホワイトボードより黒板に白チョークの方が、ありがたいと思います。

以上の点は、アルビノでない私が、アルビノである方による経験を伺って理解した事です。ですから、間違った認識も多分にあるかと思います。
アルビノの方々は、世界中の各方面で、普通に学習し、普通に仕事をこなしています。ですから、ちょっとした周囲の理解があれば、本人たちは難なく生活できます。その、ちょっとした理解をする手助けになる事を願って付け足しました。

健常な人がアルビノの視界を体験したい場合は、暗い場所で車のヘッドライトを正面から受けて、視力がぼやける度の入ったメガネをかけ、文字を書いた紙を小刻みに左右に揺らして、その文字を読んでみて書いてみればいいのでは、と、勝手に想像しています。どうでしょうか。

まだ足りない点や間違っている点が色々とあると思いますので、気づいたときに修正します。

(アルビノの視力 – より引用)

母から見た「視力」について” に対して1件のコメントがあります。

  1. 井川えりか より:

     ナショナルジオグラフィックでこちらのサイトを知りました。相談をしても分かってもらえないという矢吹さんの話を知って、どんな悩みがあるのか知りたいと思いました。
     悩みとしてはちょっと種類が違うのですが、私は薬のせいで半身麻痺になり、右腕が曲がったまま、右足も上手く動かないままで過ごしたことがあります。その時外で健常者の人たちに汚いものを見るような目で見られたことがあります。外見が違うというだけで傷付くということはとても悲しいと思いました。
     アルビノの話はスマリの森というマンガで読みました。ただ、マンガや本で書かれているアルビノは白い髪で超能力があったりしてカッコいい感じで書かれているものが多い印象でした。でもこのサイトで白い紙の反射も読みにくい人がいるということを知り、大抵の本やお知らせは白い紙に書いてあるので学校や職場では大変だということが想像できます。
     私にできることは、ここで知ったことを誰かに伝えて、少しでもアルビノの人たちの事を知ってもらうことかなあと思います。少しでも知る人が増えて偏見がなくなる日が来るといいと思います。

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