「アルビノ」という呼び方について

文責:矢吹康夫

先に結論
 「『アルビノ』は、海外では差別的な呼称だから使わないほうがいいんじゃないですか?」と聞かれることが度々あります。
 実際、英語圏の当事者コミュニティでは「albino」は蔑称として認識されており、1990年代以降は「person/people with albinism(PWA)」という表記が用いられています。
 ですが、日本の当事者コミュニティには固有の歴史があり、カタカナ表記での「アルビノ」を当事者たちが主体的に選び取ってきた経緯があります。私たちは、そうした歴史の中で「アルビノ」というアイデンティティを獲得し、自ら「アルビノ」と名乗ることを選択してきた当事者個々人の自己決定が尊重されるべきだと考えています。
 だから、日本アルビニズムネットワーク(JAN)としては、上記のような問い合わせに対しては、「日本で、個々の当事者が、自らの判断でカタカナ表記の『アルビノ』という呼称を使うのは問題ないし、それを悪いことだと責めるべきではない」と回答します。
 以下では、そのように回答するのはなぜか、理由を説明します。

英語圏での呼称の変遷
 まず、英語圏で「albino」ではなく「PWA」が推奨されるようになった経緯から説明します。なお、英語では、「albino」は「アルビノ」とは発音せず、カタカナ表記で近い発音は「アルバイノ」となります。
 「albino」(注1)という言葉をめぐっては、アメリカの当事者団体であるNational Organization for Albinism and Hypopigmentation(NOAH)で何年もの間、広く議論されてきました。「PWA」という呼称は、アメリカ障害者法(1990年制定)と、アメリカで起こった本人中心主義的な運動の影響を受けています。
 本人中心主義的な言葉は、コンディションよりも前に個人を置く(person-centered language is to put the individual ahead of the condition)ものであって、例えば「the disabled」が「people with disabilities」に言い替えられたのは、ある特定のコンディションはその人のアイデンティティの一側面にすぎず、1つの特徴によってその人の全体を定義するのはやめようという動きがあったからです(NOAH: 2008: 140-1)。
 社会的に十分に浸透しているとは言えないけれど、以上のような理由から、英語圏の当事者コミュニティでは、蔑称である「albino」ではなく「PWA」が用いられるようになりました。

日本での呼称の変遷
 日本では、「白子(しらこ・しろこ)」が最も広く使われてきた俗称ですが(注2)、現在「白子」は、差別的なニュアンスがあるから使わないほうがいいと言われています。
 俗称ではなく医学的な診断名は、明治以降、海外の医学書の翻訳でいくつもの訳語が発明されては消えていき(注3)、現在、医学・遺伝学領域で使われている「白皮症」が定着したのは昭和に入ってからです(注4)
 実はカタカナ表記の「アルビノ」のほうが、「白皮症」に比べると日本語としては古く、明治・大正期以降、主に動物学者が使ってきました(注5)。おそらく「albino」をカタカナ読みしたものと思われます。
 日本では長い間、人間をさす呼称には、前述の俗称や診断名が使用され、カタカナ表記の「アルビノ」は、色素を作れない白い動物の呼称として多用されてきました。
 人間をさす呼称としてのカタカナ表記の「アルビノ」は、1980年代以降、マンガや小説といったフィクションの中で定着していきます(注6)。実在する人間のことを報じる新聞記事で「アルビノ」が使われるようになるのは2000年代になってからです(注7)

当事者コミュニティの成り立ちと「アルビノ」の受容
 日本の当事者たちにとって決定的に重要だった出来事は、1998年に開設された「アルビノ・スクエア」と「アルビノのページ」という2つのホームページです(いずれも現在は閉鎖)。この2つのページに設置されていた掲示板は、当事者や家族が出会う機会が乏しかった当時は、貴重な交流・情報交換の場になりました。
 2005年には、mixiに「アルビノ情報局」というコミュニティができて、そこにもたくさんの当事者や家族が参加していました。そして、2007年に関西を中心に活動する「アルビノ・ドーナツの会」が、2008年に私たち「日本アルビニズムネットワーク」が発足しました。
 1990年代末以降、オンラインから広がり、セルフヘルプ・グループとして組織化されるにいたる間、カタカナ表記の「アルビノ」は、当事者と家族に肯定的に受け入れられ、メディアでも抵抗なく使われるようになりました。人間をさす呼称としてのカタカナ表記の「アルビノ」は、日本語としては新しく、否定的に意味づけられていなかったことも、受け入れやすかった理由かもしれません。
 「白子」と呼ばれたり、「白皮症」と診断されてきた人びとが、自ら選び取ったのがカタカナ表記の「アルビノ」であり、他者/社会から名付けられるのではなく、自分たちで主体的に名乗ったという歴史があります。英語圏で「albino」が「PWA」に言い替えられてきた経緯は、日本で「白子」という蔑称から「アルビノ当事者」へ言い替えてきたことと符合するとも言えます。

JANの立場
 JANは当事者と家族への支援と社会的な理解啓発を目的としたセルフヘルプ・グループです。しかし、だからといって、日本国内の当事者や家族の総意を代表していないし、そんなことできるわけがありません。
 だから、「アルビノという呼称が望ましい」「みんなアルビノと名乗るべきだ」とJANとして言うことはできません。逆に「海外ではよくないのだからアルビノはやめるべきだ」「アルビニズムにすべきだ」と言うこともできません。
 大事なのは、個々の当事者の自己決定です。「アルビノ」としてアイデンティティを獲得し、主体的に「アルビノ」と名乗っているのならば、その選択を尊重すべきだと考えています。
 なお、JANは今後、国際化を推進していくことを1つのミッションとしているので、海外に向けて英語で交流・発信をする際は「PWA」を用います。


(1) 「albino」はラテン語で「白い」を意味する「albus」が由来です。「albino」という言葉は、1660年にポルトガル人のイエズス会宣教師・バルタザールが、アフリカの西海岸で白い肌をした現地の人と出会ったときに、その人たちを表現するために造語したというのが通説です(Martin 2002: 5)。その後、「albino」は話し言葉として使われるようになりましたが、英語、仏語、独語などで普及・定着したのは18世紀頃と考えられています(Froggatt 1960: 228-9)。
(2) 確認できた限りで最も古いのは、平安末期から鎌倉初期に描かれたとされる絵巻物『病草紙(やまいのそうし)』で、その中に「しろこ」の女性が登場します(小松編 1987: 78)。なお、「白子」以外の俗称としては、他にも「白っ子(しろっこ)」「白人(しらひと・しろひと)」「白児(しらちご)」などがあります。
(3) 原著の中でも「albino」と「albinism」は混在しており、それらの訳語も混乱しています。いくつか例をあげると「皮膚色素減乏症」、「先天性白病」(レッセル 1899)、「先天性白膚症」、「白眼症」、「先天性色素欠乏症」(ダヴェンポート 1914)などがあり、日本語で書かれたものとしては、「白化症」(駒井 1942)、「白児症」(木田 1954)などがあります。
(4) 確認できた限りで最も古い「白皮症」は1941年です(松本 1941)。その後、遺伝学と皮膚科領域では「白皮症」が、眼科領域では「白子症」が使われるようになりました。
(5) 1911年に動物学者の外山亀太郎が、長音符のついた「アルビノー問題」について講演したことが報じられています(『朝日新聞』1911年7月3日朝刊)。また、上記注3のダヴェンポートの訳書『人種改良学』の中で「白眼症」に「アルビノ」とルビがふられています(ダヴェンポート 1914)。また、1916年には、動物学者の田中茂穂が「イシガレイのアルビノ」という論文を発表しています(田中 1916)。
(6) フィクションの中でも以前は「白子」が用いられており、確認できた限りで最も古いカタカナ表記の「アルビノ」は、萩尾望都のマンガ『スター・レッド』(1980)で、「白子」に「アルビノ」とルビがふってあります。
(7) 試しに新聞記事データベースを「アルビノ」で検索すると、ヒットするのは白い動物が見つかった、捕まえた、おめでたい、といった記事ばかりです。人間をさす「アルビノ」で古いのは、『読売新聞』1999年10月12日東京夕刊、『朝日新聞』2002年8月31日朝刊、『毎日新聞』2002年9月14日大阪夕刊で、いずれもマリ出身のアルビノのミュージシャン、サリフ・ケイタについての記事です。

参考文献
チャールズ・ダヴェンポート(大日本文明協会訳), 1914,『人種改良学』大日本文明協会.
Froggatt, Peter, 1960, “The Legend of a White Native Race: A Contribution to the History of Albinism,” Medical History, 4(3): 228-35.
萩尾望都, 1980,『スター・レッド(1~3)』小学館.
木田文夫, 1954,「優生疾患と遺伝形式」『日本医科大学雑誌』41(5): 351-3.
駒井卓, 1942,『日本人を主とした人間の遺伝』創元社.
小松茂美編, 1987,『日本の絵巻7――餓鬼草紙・地獄草紙・病草紙・九相詩絵巻』中央公論社.
エドムンド・レッセル(下平用彩訳), 1899,『列氏皮膚病学(訂正再販)』吐鳳堂書店.
Martin, Charles D., 2002, The White African American Body: A Cultural and Literary Exploration, New Brunswick, New Jersey: Rutgers University Press.
松本信一, 1941,『皮膚病学 前編(改訂増補第3版)』南江堂.
NOAH, 2008, Raising a Child with Albinism: A Guide to the Early Years, East Hampstead: The National Organization for Albinism and Hypopigmentation.
田中茂穂, 1916,「イシガレイのアルビノ」『動物学雑誌』28(337): 477.